働く妊活女子のリアル

労働と妊活のはざまを行ったり来たりなリアルな日常を日々綴ってみます。

流産した人にかける言葉

私は妊娠したことを公にしていなかったので、流産した時も報告する人は限られていました。

報告する時、とても悩みました。だって、悲しいお知らせを受けた相手もなんて返事していいか困りますよね、きっと。

そんな訳で、今後の誰かのために、流産報告した際に各々がくれた返事に対し、流産した私がどのように感じたかを綴ってみます。(基本的にはどの言葉もありがたかったですけどね。)

結局は人それぞれなのであまり参考にならないかもしれませんけれども。

まずその前に私のスタンスから。

ほとんどの人にはラインで伝えることになりました。報告をするときは、「事実」と「素直な気持ち」を伝えるように心がけました。そして、最後には「返信不用です」という言葉も添えるようにしました。

「素直な気持ち」とは、
●とてもショックだということ
●でも、事実を受け入れているので案外大丈夫だということ
●しばらくは体力回復に努めるが、元気になったらまた皆と遊びたいこと
●(妊婦の友人限定)友人の赤ちゃんが無事産まれたら、是非会わせてほしいこと

概ねこんな感じです。変にカラ元気も余計心配をかける気がしたし、かといって辛い、悲しいということを永遠書き綴るのも違うと思ったので、「今は悲しいけど事実をきちんと受け止めているので、元気になったらまた遊ぼう!」という感じにしました。
また、妊婦の友人については、私に気を使って出産報告をしづらくしてしまったら申し訳ないと思ったので、「私のことは気にせず、是非幸せな報告してね、待ってるよ」という気持ちを伝えたく、その旨を書きました。

「返信不用です。」と付け加えたことについては、後から考えるとイマイチだったかもしれないと思っています。
というのは、「返信不用」と言われたところで、「本当に返信しなくて良いのか?」と、余計な悩みを増やしてしまったかもしれないと思ったからです。実際、皆何かしらの返信をしてくれました。私は気を使ったつもりでしたが、いらないコメントだったかもしれません。

さて、そんな感じで、「同情してほしい」とか「一緒に悲しんでほしい」とかではなく、私の妊娠を喜んでくれた人にはきちんと報告しなくてはならないと思い、できるだけライトなラインを送りました。

以下、かけてもらってうれしい?というか感謝した?とにかくプラスに受け止めることができた言葉です。

「私は悲しい」
「ハチコの身体が一番大事」
「ゆっくりして、身体をしっかり休めて」

私の事を気遣ってくれた言葉がありがたかったです。
「私は悲しい」というコメントについては、相手によってはイマイチコメントになることもあるかもしれません。
「あんたに何がわかるのよーっ」って思ってしまう可能性もあります。
でも私の場合は、このコメントをくれたのが私の親友で、しかもほぼ同時期に出産予定だった子だったので、素直に「私のために悲しんでくれたんだな」と、彼女の友情に涙が出たありがたい言葉でした。


逆に、マイナスに受け止めてしまった言葉です。

「流産後は妊娠しやすいらしいよ」
「きっとまた戻って来てくれるよ」

特に「流産後は妊娠しやすい」は、かなり言ってほしくない言葉でした。
言った人は事情を知らないとは言え、私は不妊治療の末ようやく授かった命だったので、無神経な言葉だと感じました。

ちなみに、この言葉を言った人は私の母親です。励ますつもりで言ってくれたのはわかりましたが、非常に微妙なコメントだと思いました。
流産発覚時、遠方よりわざわざ来てくれて、母親には本当に感謝してましたが、この言葉だけはイマイチだと感じました。
もしくは、言ったのが母親だったから素直に受け止められなかったという部分もあるかもしれません。

「また戻ってきてくれる」という言葉は、実を言うと相手次第でした。母親に言われた時は嫌な気持ちがしましたが、義姉に言われた時は「そうだね。」と素直に受け止めることが出来ました。


結論、声をかける内容の賛否はお互いの関係性次第。無難なのは流産した人の心身を気遣う言葉。

という感じでしょうか?


なんだか参考にならない事をダラダラ書いてしまいましたが、誰かの何かのお役に立てればと思います。

掻爬手術(そうは手術)、つまり流産手術当日

稽留流産宣告を受けてから手術の日まで、結局赤ちゃんは私のお腹の中に留まってくれていました。

手術の数日前から遠方に住む母親が手伝いに来てくれたので、私の心はなんとか塞ぎ混むことなく、落ち着いた生活を送っていました。

手術当日
この日は平日でしたが旦那も休みをとってくれました。

9:00
朝の9:00頃に病院に行くことになっていたので、旦那と二人で病院に行きました。
受付では診察券等は出さず、名前だけ言えば内診室に連れていってくれました。

9:20
最後の内診は旦那も一緒にエコーを見ました。赤ちゃんは2週間前のちっちゃなサイズのまま、じーっとしていました。
もちろん心臓も動かないまま。
まだはっきりとしたお顔もお手てもお足もできあがってない、他人が見てもよく分からない映像でしたが、私達にとってはとてもとてもかわいい赤ちゃんでした。
「こっちが頭かな?キューピーちゃんみたいなポーズだね」
二人で話しながら最後の赤ちゃんの姿を見ている間、先生もゆっくり待ってくれていました。

その後、
「このまま処置に入りますけど良いですか?」と先生に声をかけられました。
「はい」と答えると映像が切れ、ラミナリアを入れました。

ラミナリアとは、子宮口を開くための綿棒?タンポン?のようなもの。子宮口にラミナリアを入れると、数時間で綿が膨らんで行き、子宮口が開くというものです。

ラミナリアは麻酔ができないので、入れるときに痛いという説明を事前に聞いていました。なるべく力を抜いていましたが、やはりちょっと痛かったです。ただし、我慢できないほどではありませんでした。
病院側の決まりで、午前中の間は、旦那は1日入院する病室には入れないとの事だったので、ここで一旦お別れし、手術後また迎えに来てもらうことにしました。

10:00
1日入院で確保してくれていた私の病室に案内され、手術着に着替えた後はベッドで横になっていました。
ラミナリアは入れるときこそ痛いものの、時間が経つと痛くなりなりました。
子宮口が開くまで時間があるので、暇潰しに本を持っていっていましたが、結局読むことなくウトウトしていました。

11:00
看護師さんが来て、腕に点滴を差しました。この点滴はほぼ水のようなもので、後で麻酔を打つときに必要になるから事前に差しておくのだそうです。
点滴になれていない私は少しビビっていましたが、全く痛くなかったです。

11:45
再び看護師さんが来て、手術室に移動とのことでした。点滴のカラカラをもったままエレベーターに乗り、手術室に入りました。

12:15
内診してもらう時に乗る、足が開く形になる椅子のようなベッドに横になり、先生が来るのを待ちました。

12:30
先生が来て、「今から始めますね」と声をかけられました。
「麻酔入れますね」と言って麻酔が点滴に入れられました。みるみるうちにボーっとしてきましたが、まだ意識はある状態。看護師さんに「ごきぶんどーですか?」と聞かれ、「ボーッとしてきましたー。」と会話していました。すると、「次の麻酔入れますね」と言われ、別の種類の麻酔が点滴に入れられました。
点滴を打っている左手の方から徐々にピリピリしてきたため、焦って「ピリピリします!」と訴えたところ、「少しピリピリしますが大丈。。。」この辺りで意識が飛びました。

13:00
「ハチコさん、終わりましたよ」看護師さんの呼び掛けで目が覚めました。
点滴は既に抜かれており、先生もおらず、手術用のパンツもすでに装着していました。
「大丈夫ですか?」声をかけてもらいましたが、ボーッとしていました。痛みなどは全くなく、本当に手術したんだろうか?という感じでした。

13:15
看護師さんに付き添われ、肩を貸してもらいながら病室に戻りました。
「ゆっくり寝てくださいね。トイレに行くときは、声をかけてください。出血量の確認をしますので。」説明を受け、ベッドに横になったとたん、再び眠ってしまいました。

16:00
旦那からのラインで目が覚める。
回復の早い人だと14:00くらいには帰るが、ほとんどの人は16:00ごろまでゆっくりしている。
事前にそう聞いていた旦那が待ちきれずラインをしてきた。
手術が無事終わったことと、17:00ごろ迎えに来てほしいと伝え、看護師さんを呼び、トイレを済ませました。
ほとんど出血がなく、無事終わったような感じがしました。

17:00
旦那と母親が病室に来ました。私も帰ろうと着替えの準備をしましたが、そのとたん気分が悪くなり、結局18:30まで休むことになりました。

18:30
気分はあまりよくならなかったものの、いい加減おうちに帰りたい気持ちになったため、少し無理をしつつ病院を後にしました。
手術代は、術後検査の時に一緒に支払うということだったので、その日はそのまま帰りました。
帰りの車は気分が悪く、頭も痛く、なかなかつらかったです。

19:15
家に着いたとたん、そのままベッドに転がり動けなくなりました。全身麻酔って結構強烈なんだなーなんて思いながら、再び眠りにつきました。


手術を終えてみると、本当にあっという間に全てが終わり、悲しいとか辛いとか、そういう感じではなかったです。
手術までに時間があったため、心の整理や覚悟ができていたのかもしれません。

改めて、普通に結婚し、普通に妊娠し、普通に出産し、普通に子供が元気に育つというのは、普通の当たり前のことだけど、奇跡のような、すごいことなんだと思いました。

流産ということ

流産ということ。
知識としては知っていても、実際に体験すると生々しい、知らなかったことがありました。


稽留流産の確定検査は旦那と2人で受けに行きました。
再度先生に赤ちゃんを診てもらいましたが、
11週目にして9週目のサイズのまま。
心臓が動く様子も確認出来ませんでした。

内診後、診察室で旦那と2人、先生を話を聞きました。

先生は改めて
流産は珍しいことではないということや、母親の責任ではないということを旦那を前にして説明してくれました。
そして、具体的な手術の日取りや当日の流れを説明してくれました。

色々な説明の中で、最も衝撃的だったのは、「ホルマリン」を渡されたことです。

私の場合は9週目に赤ちゃんが亡くなり、
発覚したのが11週目。
そこから再検査をし、実際の手術は2週間後でした。
(変な言い方ですが、手術が混んでおり2週間後しか予約できなかったのです。本当に多くの方が辛い想いをしているのだと実感しました。)
つまり、赤ちゃんが亡くなってから1ヶ月後の手術ということになります。
お腹の中で赤ちゃんが亡くなった場合、そのままにしておくと母親の身体は、いずれは自然と赤ちゃんを排出しようとします。
亡くなって1ヶ月も経つと、いつ血が流れ、赤ちゃんが出てくるかわからない状態でした。

もしも手術までに赤ちゃんが出てきたら、出てきた赤ちゃんをすくいあげ、ホルマリンに入れて持ってきてほしいとの説明を受けました。

理由は、次の妊娠のために赤ちゃんを病理検査に出し、母親の子宮内に異常な細胞が増えていないかを確認するためだったと思います。

この、自分で赤ちゃんをすくいあげることについては、「小さくても亡くなっても、ちゃんと産んであげたい」「ちゃんと姿を見てあげたい」と考える方もいるようですが、私は想像するだけで辛い経験になるような気がして仕方ありませんでした。

産んであげたいという気持ちはありますが、その後ホルマリンに入れるというのは、どうも耐えられそうにないと思いました。

その気持ちを察してか、「どうしてもすくいあげることができなかったら、大丈夫ですよ。」と言われました。

その他は手術の内容とリスク、当日の持ち物等を説明され、採血などを行い、確定検査は終了しました。

流産って、赤ちゃんが亡くなってしまうことなんですが、実際にはその後手術をする・しないの判断が必要になったり、手術をしない場合は陣痛を伴うプチ出産をすることになったり、場合によっては自分でホルマリンに入れなくてはならなかったり。

亡くなって残念だっただけではなく、生々しい決断をしなくてはならないと知りました。
手術を受ける場合は手術のリスクもあります。

流産ということを身をもって感じた1日でした。

ついに妊娠。そして流産。

悩みながらの妊活を得て、無事妊娠発覚。
つわりと戦いながら過ごした日々。
6週目で心拍が確認でき、流産の確率がぐっと下がったと一安心。
8週目の検診で赤ちゃんの手足が出来ていることや、ピコピコ動く心臓を確認。

11週目、次はどんなに大きくなっているかと楽しみに病院に行ったら、お腹の中で赤ちゃんの心臓は止まっていました。

赤ちゃんの大きさは9週目中頃のサイズのまま。

つわりも続いていたから赤ちゃんは元気だと思い込んでいました。

お腹の中で赤ちゃんが亡くなる稽留流産は、無自覚の流産とも言われているらしい。知識としては知っていました。実際、腹痛もなければ、出血もない。つわりも継続していました。
でも、赤ちゃんの心臓は止まってしまっていました。

稽留流産発覚時のやりとりは今でもしっかり覚えています。
まるで映画でも見ているような、どこか他人事のような気持ちで先生の話を聞いていました。

先生「では診察を始めますね」
ハチ「はい。お願いします。(ワクワク)」
モニター見ながら
先生「今何週目だっけ?」
ハチ「11週目ですかね。」
先生「こっちが頭でこっちがおしりね。」
ハチ「はい。 (わー。今日もお手てと足が見えた~)」
先生「サイズ計りますね」
先生「このサイズね、9週目相当なの。」
ハチ「そーなんですか。(のんびり屋さんでちっちゃいのね。)」

私はこの期に及んで先生の様子がおかしいことに全く気がつかず、(のんびり成長するマイペースな子なのね)くらいに思っていました。

先生「でね、この大きさなら普通は拡大しなくても心臓が動いてるのがお母さんからでも見えるはずなんですよ。」
ハチ「・・・はい。」

この辺りでようやくまずいシチュエーションに気がつく。

先生「拡大して確認しますね。」
先生「角度変えて確認しますね。」
先生「一度着替えてもらって、横の診察室で話をしましょう。」
ハチ「はい。」

その後は、先生から優しくも淡々と色んな説明を受けました。
いくつかある流産の種類のうち、私は稽留流産であると言うこと。
流産の確率は15%と、決して低い数字ではなく、誰にでも起こりうるということ。
流産のうち、70%は赤ちゃんの生まれもった遺伝子的な問題で起こるため、お母さんの責任ではないということ。
念のため日を改めて診察を行い、そこで心臓を確認できなければ流産確定となること。
再度診察を行った結果心臓が動いたというケースは稀であること。
次回は主人と2人で来てほしいとのこと。

私は泣いたり喚いたりすることもなく、本当に冷静で、流産確定後の手術の日取りや金額、前後何日間休む必要があるのか等を質問しました。
先生は簡単に質問に答えつつも、「次回ご主人と一緒に来てもらって、その時に詳しい話をしましょう。ひとまずご主人と一緒に来られる日程を相談してみてください」とのことでした。

一度病院の外に出て、診察の日程を決めるべく、休日出勤中の旦那に電話。「赤ちゃんの心臓がね、止まっちゃったみたいなの。」旦那と話したとたん涙が溢れて来て止まらなくなりました。

その日は旦那も仕事を切り上げ早く帰って来てくれたので、二人でゆっくりご飯を食べながら眠りにつきました。


15%といえば、6~7人に一人の確率で流産を経験しているわけで、本当によくある話なんだと思います。
だから、自分だけが世界中の不幸を背負ってるわけではなく、皆辛い思いをしながらも乗り越えて生活しているのだと思いました。
そして、「仕方がなかった。」それ以外の自分の中での落とし処も見つからず、とにかく悲しい自分を自覚しながらなるべく普通の生活を送れるよう努力しました。

朝はいつも通り起きる。
ご飯を作って食べる。
掃除をする。
洗濯物をする。
お風呂に入る。
夜になったら眠る。

辛いし、経験しなくて済むなら経験しない方が良いことですが、経験してしまった身としては、「良い経験だった」と思えるようにするしかないと思いました。
お陰さまで流産した人の気持ちがわかるようになったとか、センシティブな時は、無意識に発せられた言葉でこんなに傷つくものなんだとわかったとか、周りの人の優しさにも感謝できたとか。

ちょっとうっかり者の我が子は忘れ物をしたらしくあっという間にお空に帰ってしまいましたが、忘れ物を取ったらすぐにまだ戻ってくるはずなので、心地よいベッドを用意しておきます。

タイミング方、その次のステップへ?

さて、妊活の話。

前々回ですかね、
「ハチコさん、今回妊娠しなかったら、そろそろ次のステップの事を旦那さんと相談してみてください。」と言われました。

先生曰く、一般的には5、6回タイミング方を試して、上手くいかなければ次のステップに移るらしい。

ちなみに、タイミング方ってのは、病院で排卵日を診てもらい、排卵に合わせて夫婦でタイミングをとるって方法。

次のステップねぇ。。。

しかしながら、「もぉちょっとタイミング方で進めます。」と答えました。

理由は、5、6回試してダメなら次ってのが一般的なものの、私の場合はこれまでのチャンス、全てがナイスタイミングでトライできたとは思えなかったので、「実質まだ2、3回だ」と思っていたから。

全然卵が育たず、諦めて無理やり生理が来るお薬飲んだこともあったし、旅行と重なって正確な排卵日がわからなかったこともあるし。

そんなわけでもぉ少しタイミング方で粘る事にしました。でもいつまでもタイミング方にこだわっていると、どんどん年齢も高くなっていくし、お金もかかるので、後3回。と勝手に心に決めたのでありました。

念のため次のステップの内容を聞くと、旦那の中でも元気なものを選りすぐって、排卵日に合わせて子宮近くに放すらしい。

なんとなく怖い。

でも、以前に比べたら仕事は楽になり、少しリズミカルな生活が送れるようになってきたので、後3回あればなんかいける気がする。

と無駄な自信を胸に、とにかく無理しないことを胸に誓ったのでありました。

32歳で結婚する:その2

29歳の時。3人の独身ガール達から立て続けに結婚報告を聞く事になった私。

ものすご~く、もんのすごお~く焦りました。

3人の結婚は心から「良かった~」と思えたのですが、その喜ばしい気持ち以上に焦りが押し寄せてきました。

もしかしたら「彼氏とうまくいってない状態」というものは、「彼氏がいない状態」よりも結婚を焦るのかもしれない。

当時の私はゼクシィのCMが流れたらチャンネル変えてました。マジで。


さて、2年前熱心に告白してきた彼氏との関係はというと、最悪でした。

今考えると「ただ合わなかった」「方向性の違い」的なもんで、どっちが悪いわけでもなかったんだと思います。

でも、当時の私からしたら辛い期間でした。さっさと別れりゃ嫌いにならずにすんだのに、なかなか別れられなかったせいでAさんのことが嫌いになっちまいました。


最初から振り返ってみます。

付き合って最初の頃は良かったんですよ。

私は大して好きでもなかった相手だけど、熱心に好き好き言ってくるし、いい子だし。「あぁ、女は大事に想われてなんぼよね~」的な。

ところが、よくある話で。。

そのうち立場っちゅーか、関係が逆転し始めたんですよね。最初はAが私を追いかけてたはずなのに、気がつけば私がAを追いかける関係になっちゃってたんですね。

それでも上手くいくカップルもあるんでしょうが、Aと私はそうではなかった。

なかなかメールの返事をくれない。(当時ラインとかない)
電話に出ない。
遊びの約束すっぽかされる。
遊びに行っても話が続かない。

そんな事が頻発しまして。さっさと別れりゃ良いのに好きだから別れられない。無理して付き合うから歪みが大きくなる。でも別れられない。という良くないスパイラル。

そんなある日、Aから別れ話を切り出されました。電話で。

「嫌だ」と別れ話のお断りをしたものの、Aの気持ちは固い様子。理由を聞いてもよく分からない。「ハチコが悪いわけじゃない。俺の問題だ。」と。納得いかずごねまくった私。
結局その日は「保留 」ということになり、なんとか別れるのは食い止めたのでありました。

そして後日。改めてデートの約束をとりつけ会ったものの、当然別れ話に。まぁ覚悟は出来てましたんでね、結局別れる事になりました。

これが28歳の時。

これで終わっていれば良かったのに、終わらなかったからゼクシィのCM見てチャンネル変えるはめになったんですよね。。

つづく。

ストレスと不妊の関係②

私は卵が上手に作れないようなのだが。


先日、実に85日ぶりに排卵に成功したようです。

しかもっ!いつもなら、卵胞が育っても、ブレセキュアってゆう排卵を促す点鼻薬を使わないと排卵しないのに、今回は自力での排卵です。

ふふ。


成功要因は2つ。と思う。


1つ目。

排卵誘発剤を変えた事。
今まではセキソビットを処方されていましたが、前回効かなかったため、クロビッドに変えました。


2つ目。

仕事をちょっとサボった事。(合法的に)


大きな要因は2つ目の仕事をサボった事かと。


9月10月と忙しくてですね、働きまくってたワケですよ。

そしたら、排卵誘発剤飲んだって全く卵が育たない。諦めて強制的に生理が来るように薬も飲んでたのに生理も来ない。

良くないね。


そんなわけで、残業を減らして、2日間代休取って旅行に行って来たんですね。

そしたら、クロビッド効果もあってか、いつもなら中々育たない卵も普通の人と同じように育ち、点鼻薬使わずとも無事排卵したわけです。


やっぱりストレスってのは影響してんだろうなぁ。


そして逆に言うと、ストレスさえなければ割りと普通に卵出来て排卵もすんじゃね?的な気もしてきた。


自分が不妊になるとは思わず、全然知らなかったけど、妊娠までって色んなハードルありますよね。

私の場合はまず卵が上手に作れないから、そこが第一ハードル。

卵が育たないと、妊娠は出来ないよね。

誘発剤でなんとか卵を育てたら、今度は排卵するようにホルモン出さなきゃいけない。これが第二ハードル。

私はこれも弱くて、せっかく卵が育ってもLHサージが起こらない。

だからブレセキュアってゆう点鼻薬でなんとか排卵させるんだけど、

排卵後、内膜の厚さを見てもらったらツンツルテン。

これが第三ハードル。

これもなんとかルトラールってゆうホルモン剤飲んで対応。

そうしてやっと普通の人と同じ状態。


ぬぅ。。


仕事との関わり方を考えてしまう今日この頃だぜ。